大正12年、元々コックだった小倉榮男により東京・板橋にて創業。東京で初のソースメーカー誕生。
関東大震災で、復興に向け人々が頑張っていた時代。 おいしい物を提案したいと考えていたのがコックだった創業者、小倉榮男でした。
人々に「食」で幸せを与えたい!励ましたい!そんな想いから体にもいい、野菜たっぷりのおいしいソース作りを始めたのです。
この頃からトキハソースがあったなんて知ってましたか?!
この頃は野菜の缶詰やパウダーはありません。 機械だってそう。朝早くから手間ひまかけてひとつずつ、丁寧に手作り。
でもその製法はやがておいしさの秘訣と、トキハのブランドに・・
しかし、戦前から盛んになってきていたソース製造は東京大空襲により、その基盤をほとんど失われてしまいます。
ここでソースの製造はピタリと止まってしまうのです。
戦後まもない昭和24年10月
トキハソースを含め、ソース製造に情熱を持つ122名が「中小企業のソース製造業者による中小企業のソース業者のための組合組織」を結成。
ちょうどこの頃・・
大学卒業を機に父親(初代)のソース作りに参加。若き職人達の更なるソース作りが始まりました!
昭和48年、地下鉄と高速道路の拡幅工事のため板橋の仲宿から現在の滝野川へ移転することに。
場所や環境が変ると味にも影響してしまうのが痛いところ。 移転してしばらくは 味が変わってしまい失敗の連続。
また、天候の都合で新鮮な野菜が手に入らないことも。 でも生野菜を使わないと味が全然変わってしまうんです。 伝統の味を守るため、明け方から長野に車を飛ばし、野菜を仕入れに行ったりもしました。 おいしいソースに妥協は出来ません。 新しい物を作り出すのも大変ですが、伝統を守っていくのも ホント大変なんです。
昭和50年 息子である坂田 実が2代目に。 初代が作り上げてきた伝統を受け継ぎつつ、加工食品業界へ原料としてソースを製造販売するなど新しいジャンルにも挑戦。 トキハソースが東京の飲食店でも多く使われるようになり 「東京のソース」としてその名を広げます。
現在の3代目工場長、小倉英雄も加わって伝統と開発に燃える日々。 平成5年、長い構想期間を経て、東京都ソース工業協同組合と共同でまったく新しい「生ソース」を開発。特許取得。
農林水産大臣賞、東京都職員発明として知事表彰を受賞。
数々のテレビ番組や雑誌で多く取り上げられ、創業当時から一貫した生野菜のどこか懐かしい味が「東京のソース」として時代を超えて愛されています。